平野貞夫・元参議院議員は、自身が衆議院議長の秘書として間近で目撃したロッキード事件について、11月29日のArc Times のThe Newsで、その本質を明かしました。—–By Arc Times 編集部
「実際は三木・中曽根政権と、田中さんの戦いだった」
1976年7月に田中角栄・元首相が逮捕された「ロッキード事件」の本質とは何だったのか?—-政界の生き字引として知られる平野貞夫・元参議院議員は11月29日の Arc Times の The News で、「主たる原因は米国が作ったという、田原(総一朗)さんの論も一理ある。しかし、(米国が)客観的な環境は作ったとは思うが、実際は日本の三木・中曽根政権と田中さんとの戦い。それから、検察と田中さんとの戦いだった」と語った。
田中元首相の逮捕をめぐっては、「裏側で米国の意向が働いていた」という見方が日本の一部では依然根強い。
しかし、平野氏が明かしたのは、実際は、当時の「三木武夫首相と自民党の中曽根康弘幹事長」対「田中元首相」の間の権力闘争、という側面だった。
平野氏は当時、衆議院事務局の職員として、前尾繁三郎・衆院議長の秘書を務めていた。そこで目撃したのは、右翼の大物・児玉誉士夫氏の証人喚問を巡る攻防だった。
1976年2月に米上院の議会証言を機に、突如明るみに出たのは、①対潜哨戒機P3C売り込みのためにロッキード社から21億円の賄賂が児玉誉士夫氏を通じて日本の政府高官に流れた、②民間航空機トライスターを全日空に導入させるため商社の丸紅に5億円の賄賂が流れた、という2つの疑惑だった。
「三木さんというよりは中曽根さんだろうね」と平野氏
「21億円」と賄賂の額が多い「児玉ルート」が当初は最大の焦点で、国会は児玉氏を証人喚問しようとした。しかし、児玉氏の主治医が、「児玉氏は脳梗塞だ」という診断書を提出。国会に依頼された医師団が、真偽を確かめるため、児玉氏の状況を直接確認する事態に発展する。
前尾衆院議長の元で、医師団派遣の調整作業を行なっていたのが、平野氏だった。国会派遣の医師団は1976年2月16日夜に児玉邸を訪れ、結局、「児玉氏は重症の意識障害下にある」と診断した。児玉氏の証人喚問は実現せず、「児玉ルート」で賄賂を受け取った「日本の政府高官」が誰なのかは分からずじまいになった。そして焦点は「5億円」の「丸紅ルート」に移り、この年の7月、丸紅から賄賂を受け取ったとして、東京地検特捜部は田中元首相を逮捕するに至った。
平野氏は当時から、極秘事項だった医師団を児玉氏の元に派遣する日時が、事前に漏れていたのではないかと感じていたという。「情報漏洩」を平野氏が確信したのは、25年後の2001年のことだった。児玉氏の主治医の当時の同僚だった人物が、「国会の医師団が来る数時間前に、主治医が先回りして児玉邸に行き、児玉氏に強力な睡眠剤を打っていた」と月刊誌で証言したのだ。
「医師団を派遣するかどうか、いつ派遣するかどうか、というのは、当然、与党の幹事長、国対委員長は知る立場にある。そこで、医師側に(情報が)流れて、対応したんじゃないか」。平野氏はこう語った。さらに、事件の方向性に影響を与えた人物として、「まあ、三木さんというより、中曽根幹事長だろうね」と自らの心証を明かした。ロッキード事件は、田中氏や中曽根氏らほとんどの関係者が他界し、真実は闇の中のままだ。Arc Timesでの平野氏のインタビューは、闇の一端に光を当てる内容だった。
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