東京地裁が、できたばかりの新しい保存ルールに違反して、オリンパスの内部通報訴訟の記録を廃棄していたことがわかった。神戸家裁で昨年10月、連続児童殺傷事件の「少年A」の記録が廃棄されていたことが発覚しているが、東京地裁では運用改善後の最近になっても著名訴訟の記録を捨てていた。
By 奥山俊宏 Okuyama, Toshihiro / Arc Times 寄稿ライター、上智大学教授
Posted:2/8 13:00 JST
東京地裁で、重要訴訟の記録を漏れなく保存しようと改正されて間もない新しいルールに反し、オリンパス内部通報訴訟の記録が廃棄されていたことがわかった。著名な訴訟の記録のほとんどが裁判所によって廃棄されていた実情を改めようと2020年に「主要日刊紙2紙以上に終局に関する記事が掲載された」など記録永久保存の基準を明確化する運用要領が定められたのに、それより後の昨年(2022)2月に、精密機器メーカー、オリンパスによる内部通報者への制裁的人事をめぐって争われ、すべての主要紙で報道された訴訟の記録が東京地裁によって廃棄されていた。明確化された基準に従えば自動的に永久保存に付されるはずの記録だっただけに、原告は「どうして?」と憤っている。基準明確化だけでは是正が不十分な現状を裏付けている格好だ。裁判所の記録については、神戸家裁で昨年10月、連続児童殺傷事件の「少年A」の記録が廃棄されていたことが発覚している。これをきっかけに最高裁は有識者委員会を設け、記録保存のあり方の検討を進めており、その議論にも影響を与えそうだ。
「プロセスが重要なのに…」
廃棄が明らかになったのは、オリンパス社員だった浜田正晴さん(62)が同社を相手取って2012年に起こした訴訟の原・被告双方の準備書面や証拠を綴じた記録。和解調書の原本は分離されて保存されている。
浜田さんは、各地の裁判所で事件記録の廃棄が問題になっているとの報道を見て、先月27日、自分の訴訟の記録が特別保存(事実上の永久保存)に付されているかを東京地裁に問い合わせた。東京地裁のウェブサイトでは、「主要日刊紙のうち2紙以上に終局に関する記事が掲載された事件」は、要望の有無にかかわらず特別保存に付すと明記されている。浜田さんは、自分の訴訟はこれに合致しており、当然、記録も保存されている、と安心していたという。
ところが、東京地裁の担当者の説明によると、昨年2月16日に廃棄済みとなっていた。浜田さんは、ウェブサイトの記載に違反して廃棄されてしまったのはどうしてなのかと尋ねた。すると今月6日、地裁の側から、後日確実に説明するので待ってほしい、との返答があった。
記者の問い合わせにも、7日、東京地裁の広報担当者は同様に答えた。
取材に対し、浜田さんは「厳しい訴訟を闘い抜いた。その過程が重要。結論だけ見ても分からない。弁護士も裁判官も大変な思いをしてつくり上げた訴訟記録だ。そこをどさっと捨てる、そんな無神経に、怒りを通り越して、あきれる。あまりに軽く考えているのではないか。司法への信頼が揺らぐ」と話している。
訴訟記録には、浜田さんと会社が主張を戦わせた内容そのものである訴状、答弁書、準備書面のほかに、事実関係や双方の主張を裏付けるためのそれぞれの書証、裁判所が作成した口頭弁論の調書が綴られている。なぜ訴訟に至ったのか、その背景にある事実関係の詳細は、訴訟記録を見ないと分からない。特に、浜田さんの訴訟のように、一審の和解で終結した訴訟については、判決書がないため、訴訟記録がないと、事実関係はほとんど分からない。訴訟記録が特別保存に付されれば、将来、国立公文書館に移管され、後世の人たちも比較的簡単に閲覧でき、訴訟の内容を検証することができるが、記録が廃棄されれば、そうした機会が失われ、社会にとっての損失が大きい。
また、浜田さんの訴訟は、組織の不正を内部告発した人を法的に守るための法律、公益通報者保護法の2020年の改正に大きな影響を与えたことでも知られている。この点について、浜田さんは次のように語った。
「公益通報者保護法の改正(2022年6月施行)につながった重要な訴訟だった。改正法の付則には施行3年後の見直しが定められており、今後もこの法律の実効性をどんどん上げていかなければならない。そうした見直しにあたって記録は必要だし、企業などが内部通報制度の実効性を高める上でも記録はおおいに参考になる。訴訟記録の廃棄がいろいろ問題になっているので、先月27日、念のために確認したら、まさか、まさかの廃棄で驚愕した」
朝日から産経まで全紙が報道
浜田さんは2007年、企業倫理に反すると思われた上司の行動について、同社の内部通報制度「コンプライアンスヘルプライン」を利用し、同社のコンプライアンス室長に相談した。すると、その事実が上司の事業部長にコンプライアンス室長から告げられた上、直後、畑違いの閑職に左遷された。パワハラを受けた上に、最低レベルの人事評価をつけられた。
翌2008年、浜田さんは会社と上司を提訴。2011年、控訴審の東京高裁は、コンプライアンス室長の守秘義務違反を批判し、さらに浜田さんに対する処遇を人事権の濫用に当たるとして左遷人事を無効とし、パワハラを不法行為と断じて慰謝料の支払いを会社に命ずる判決を言い渡し、翌2012年、これがが最高裁で確定した(第1次訴訟)。
ところが、会社は浜田さんを元の職場に戻さなかった。このため、浜田さんは再び会社を提訴せざるを得なくなった(第2次訴訟)。この第2次訴訟は、3年あまりにわたって続いたが、2016年2月18日、浜田さんと会社側の和解が成立し、一連の訴訟は終結した。この事実は当日、朝日、読売、東京、日経の各紙夕刊で「内部通報社員と和解 オリンパス、1100万円支払い」などと報じられ、毎日、産経では翌日の朝刊で報道された。朝日では夕刊だけでなく翌朝刊にも詳報を載せた。
有識者委員会で議論が続くなかで
この浜田さんの訴訟のように、「全国的に社会の耳目を集めた事件」の記録については、最高裁判所の事件記録等保存規程9条2項で、「保存期間満了の後も保存しなければならない」と定められている。
ところが、2019年2月、東京地裁が「朝日訴訟」など著名・重要な訴訟の記録を多数廃棄していた問題が朝日新聞の報道で発覚した。浜田さんの第1次訴訟の記録もこの時点で既に2018年3月1日に廃棄されていた。批判の声が高まり、最高裁は記録の廃棄をいったんストップするよう全国の裁判所に指示。最高裁も関わって東京地裁がプロジェクトチームで対策を検討し、その結果、2020年2月18日、新しく運用要領を定めた。
運用要領では、「主要日刊紙のうち、2紙以上(地域面を除く)に終局に関する記事が掲載された事件」は、類型的・機械的に特別保存(事実上の永久保存)に付すこととされた。これを定めた際の東京地裁幹部の記者団への説明によれば、この「終局」というのは、一審、控訴審、上告審それぞれの審級のうちのいずれかであってもよく、また、判決だけでなく、和解も含んでいる。主要日刊紙というのは、朝日、毎日、読売、日経の4紙を指す。
最高裁事務総局は翌月の3月9日、全国の裁判所に対し、この東京地裁の運用要領を参考に、各裁判所の態勢を整備するよう求める通知を送った。
このようにして2020年以降は、それまでとはうってかわり、東京地裁だけで年に100件前後の訴訟の記録を新たに特別保存に付すようになり、運用は是正されたかに思われた。
ところが、昨年10月、1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件で逮捕された当時14歳の「少年A」に関する事件の記録すべてが神戸家裁によって廃棄されていたことが神戸新聞の報道で発覚した。廃棄されたのは2011年2月のことだったとみられるが、大きな反響があり、最高裁は再び、全国の裁判所に記録の廃棄を見合わせるよう指示。記録の保存のあり方を検討するため有識者委員会を設け、11月25日に第1回会合を開いた。4月ごろをめどに事務総局が報告書をまとめる予定で、議論を続けている。
今月に入っても、桶川ストーカー事件の被害者の遺族が県に損害賠償を求めた民事訴訟の記録が、さいたま地裁によって2012年2月に廃棄されていたことが明るみに出ている。
浜田さんは取材に対し、「桶川事件の訴訟記録の廃棄は、運用改善の前の廃棄だから言い訳できたかもしれないが、私の訴訟の記録廃棄はその後なので、そうした言い訳はできない。故意ではないと思うが、もう一回、プロセスの見直し、検証が必要だ。これは私一人の問題ではなく、日本の刑事、民事含めて重要な記録が廃棄されてしまっているのではないかと疑わざるを得ない、あってはならない問題だ」と話している。
参考リンク:
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kirokuhaiki/
https://webronza.asahi.com/judiciary/relation/2021071300003.html
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